SING女團「寄明月」(日本語歌詞)

曲名和訳:明月に寄せる

リリース日:2017年9月26日

作詞:李懋揚(T2o)

作曲:李懋揚(T2o)

編曲:紀粹希(G-Tracy)


歌詞和訳

穿过了小巷后的古街
路地を抜けた古い街
青墙旁你遥望夕阳斜
青い壁のそばで 君は夕陽を眺める
只因是不经意的一瞥
たまたまの一瞥が
扰乱我思绪不舍昼夜
私の心を乱し 昼夜も忘れて

想化作庄周变成蝴蝶
庄周のように蝶になりたい
驾青云穿过繁枝茂叶
青雲に乗り 繁みを抜け
纵然是群山层层叠叠
たとえ山々が幾重にも重なりとも
也无心在此流连停歇
ここに留まりたくなることもない

将相思寄明月
想いを明月に寄せて
期盼你能察觉
君に気づいてほしい
将你写作诗阕
君を詩に詠み
送千里无邪
千里無邪を贈る

你就是梦浸白了新月
君は夢が新月を白く浸したように
才会有悲欢离合阴晴圆缺
悲歡離合、陰晴円缺がある
你就是风染红了枫叶
君は風が紅葉を赤く染めたように
才会让我的思念漫山遍野
私の想いを山野に満たす
你就是泪浸白了初雪
君は涙が初雪を白く濡らしたように
才会如离人来去飘洒摇曳
去来する離人のように漂う
你就是你染红了岁月
君は君自身が歳月を赤く染め
改变我黑白而无言的世界
私の黒白で無言な世界を変える


如溪水潺潺淌过古街
せせらぎが古い街を流れ
带走了如梦般的时节
夢のような季節を連れ去る
小桥上人潮络绎不绝
小橋の上には絶え間ない人波
牵引我思绪层出不迭
私の想いを次々と引き出す

若不识梁祝变成蝴蝶
梁山伯と祝英台の蝶を知らなければ
驾紫烟穿过天上宫阙
紫煙に乗り 天上の宮殿を抜け
绝不知人间多愁离别
人間の愁い多き別れを知らず
吹落叶散作秋风清切
落葉を散らす秋風の清らかな響き

将相思寄明月
想いを明月に寄せて
心缱绻意难决
心は揺れ 決めかねる
将此情置长夜
この想いを長夜に託し
似繁星明灭
星々の明滅のようだ

你就是梦浸白了新月
君は夢が新月を白く浸したように
才会有悲欢离合阴晴圆缺
悲歡離合、陰晴円缺がある
你就是风染红了枫叶
君は風が紅葉を赤く染めたように
才会让我的思念漫山遍野
私の想いを山野に満たす
你就是泪浸白了初雪
君は涙が初雪を白く濡らしたように
才会如离人来去飘洒摇曳
去来する離人のように漂う
你就是你染红了岁月
君は君自身が歳月を赤く染め
改变我黑白而无言的世界
私の黒白で無言な世界を変える

你就是梦浸白了新月
君は夢が新月を白く浸したように
才会有悲欢离合阴晴圆缺
悲歡離合、陰晴円缺がある
你就是风染红了枫叶
君は風が紅葉を赤く染めたように
才会让我的思念漫山遍野
私の想いを山野に満たす
你就是泪浸白了初雪
君は涙が初雪を白く濡らしたように
才会如离人来去飘洒摇曳
去来する離人のように漂う
你就是你染红了岁月
君は君自身が歳月を赤く染め
改变我黑白而无言的世界
私の黒白で無言な世界を変える


[注1]:曲名「寄明月」の出典は、中国の盛唐の時代の詩人・李白の詩「聞王昌齡左遷龍標遙有此寄」の一句「我寄愁心與明月」。詳しくはこちら:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/rs63.htm

[注2]:庄周(そうしゅ)は中国古代の思想家・庄子(そうし)の本名です。古代中国では、偉大な思想家に対し、姓に「子」を付けた敬称で呼ぶ習慣があり、「庄子」はそれに由来します。また、彼は「夢の中で蝶になり、自分が庄子なのか蝶なのか分からなくなった」という「胡蝶の夢」の逸話で特に知られており、歌詞はこのように、自由な精神境地を象徴する故事を引くことで、現実を超えたいという願いを表現しているのです。

[注3]:「千里無邪(せんりむじゃ)」は、「千里の彼方まで届く純粋無垢な思い」を指します。ここでの「無邪」は、孔子が『詩経』を評した「思無邪」(思い邪なし)に由来する、私心のない清らかな情感です。つまり、詩に託した偽りのない恋心が遠く離れた相手に届きますようにという願いを、月や詩篇といった中国的意象と結びつけ、古典的な美意識で表現したものが、この核心的なフレーズなのです。

[注4]:『梁山伯と祝英台(りょうざんぱくとしゅくえいだい)』は、中国の「四大民間説話」の一つに数えられる悲恋物語です。中国版『ロミオとジュリエット』とも称されます。派生作品などがしばし「梁祝」と略されます。詳しくはこちら:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%B1%B1%E4%BC%AF%E3%81%A8%E7%A5%9D%E8%8B%B1%E5%8F%B0